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たまたま高校の後輩だった
開業コンサルタントのA氏は
早速、父の皮膚科クリニック近辺の
診療圏調査を行ってくれました。

立地は申し分ないが
エレベーターのないビルの3階で
レントゲン設備や内視鏡検査を行うには
スペースが致命的に狭いというレポートでした。

自分が開業するのであれば
皮膚科単科のまま一旦継承して時期をみて移転し、
その後に内科標榜することを勧められました。

結局、新しくしなければ
内科では開業は出来ないのか・・・。

少しがっかりしましたが
新規でクリニックを建てるための
先立つ資金もありませんし、

当時、大学で講師でしたから
まじめに定年まで勤めれば
助教授くらいにはなれるかなと
「開業」はあきらめたつもりでした。

ところが、2001年の暮も押し迫ったころ、
事態は急展開をしたのです。

「自宅の近くで後継者を探している
胃腸科の院長先生がいます。
 特段、ネガティブな要因はありません」という
メールがA氏から届いたのです。

「ネガティブな要因はない」などと
わざわざ書かれてあることが
今思えば怪しい感じなのですが、

通勤の帰りの教えられた住所に
行ってみました。

自宅から近くでしたが
こんなところにクリニックがあったのかと
初めて知った場所でした。

院長先生は高齢なので
目下のところ患者さんの数はセーブしているが、
診療圏調査ではまだまだ多く見込めるとの
「皮算用」を提示されて

一度はあきらめたつもりだった
「開業」へと再び、そして今度は本格的に
舵が切られたのでした。



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2017.11.24 Fri l 思い出 l COM(0) TB(0) l top ▲
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大人にだっこしてもらって
ケロヨン宛に書いたハガキを投函した
かすかな記憶があります。

自分が幼少の頃はどこに行っても
こういう丸いポストでした。

いつの間にか、
かなりマニアックな存在になり、
あると写真の一つも撮りたくなります。

メールとはもともと
お手紙のことなのですよと
若いひとに教えたくなる世代ですが、

「電子メール」とか「Eメール」と
わざわざ言うひともめっきり見かけません。

そのメールさえもいまや
ラインの豪勢に押されっぱなしです。

「郵政民営化」って知ってるかい?
丸いポストに訊ねてみたいですね。



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2017.11.16 Thu l 思い出 l COM(0) TB(0) l top ▲
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父の皮膚科クリニックを
週一回手伝うようになってから
最初に考えたことは

同じ場所で将来「内科」が
開業できないかということでした。

何しろJRの駅から
徒歩1分という好立地です。

父が働けなくなった後、
そのまま診療所を閉めるのは
忍びないと思ったのです。

ネットでたまたま見かけた
開業コンサルトの会社に
問い合わせのメールをしたことが
全ての始まりでした。

「今度の日曜日に信濃町の
 野口英世記念館で電子カルテのセミナーを
 開催するのでぜひご来場ください。
 セミナー後、先生とじっくり
 ご相談しましょう」という返信があり、

コンサルタントのシナリオ通り、
のこのこセミナーに出かけて行き、
喫茶店で約2時間も担当者と話をしました。

担当者が高校の後輩だったこともあり、
あまり不信感もないまま、
知らず知らずのうちに
大学を辞めて開業すると言うことが
既定路線となって行きました。

このとき、運命のベクトルが
大きく動いたことに自分自身は
全く気が付いていなかったのです。



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2017.11.10 Fri l 思い出 l COM(0) TB(0) l top ▲
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寒くて天気が悪い日が多かった
10月も終わり、
いよいよ秋もどっぷりと
深くなってまいりました。

今日から霜月。

中学、高校時代は
狭山湖でマラソン大会がありました。

中学3年の時は
「狭山湖駅」だったのが、
高校1年になると
「西武球場前駅」となって、
駅前が見違えるようになっていました。

冷たい風に吹かれながら
狭山湖畔を力走したことを
思い出します。



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2017.11.01 Wed l 思い出 l COM(0) TB(0) l top ▲
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ちょうど20年くらい前の
今頃の季節、父から電話がありました。

「身体の調子が悪い」と言うのですが、
どうも電話では的を得ないので
大学の自分の外来を受診してもらいました。

血液検査の結果を見て慌てました。
明らかな腎不全です。
即刻入院させてもらいました。

長年、高血圧をおざなりにした結果、
腎硬化症から腎不全に至ったのです。

健康には口うるさかった父ですが、
自分のこととなると
医者の不養生を絵に描いたような父でした。

その後、人工透析を行うことになりましたが、
動脈硬化は全身に及んでおり、
心臓の血管もボロボロになっていたのです。

透析をするようになってから
週に一回は父の皮膚科クリニックを
手伝いに行くことになったのですが、

大学で忙しかった自分は
病身で診療を続ける父と
細かいことでよく言い争いになりました。

この頃のことは今でも夢に見る程、
後悔しています。

しかし、父の皮膚科を継がなければと
漠然と描いていた将来像から

自分の行く道は
自分で探さなければならないと
考えるようになった転機でもありました。



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2017.10.14 Sat l 思い出 l COM(0) TB(0) l top ▲
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お彼岸です。

今年は諸々の事情で
ひとりで墓参りに行って来ました。

父も亡くなって10年。
もう、ひと昔前のことになります。

頑固な父で子どもの頃は
ずいぶん殴られたものですが、

あの頃は、教育とか躾とか
そういうものでした。

暴力を肯定する気はありませんが、
褒めて育てるとか、
好きなようにさせるとか、

子どものご機嫌を伺うような
現代の風潮もどうかなと思います。

でも、確かに痛かったな。
父のゲンコツは。



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2017.09.24 Sun l 思い出 l COM(0) TB(0) l top ▲
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30年前、1987年の秋は
アメリカンフットボール部の
最後のシーズンでした。

当時、関東学生フットボール協会の
医科歯科リーグ1部に所属していたものの

3年生のときに2部で全勝優勝したときの
主力選手はほとんどいなくなっており、
「黄金時代」の面影はすっかりなくなっていました。

6年生だった自分は
フットボールの練習以外は
図書館にカンヅメになって
卒業試験と国家試験の勉強をしたものです。

5年生の主将や副将をはじめ
スターターは全て下級生であり、
6年生はあくまでサブのはずでしたが、

諸々の事情で自分を含めた
6年生ほとんどがゲームに出なければ
ならなかったことが
チームの不振を物語っています。

結果、リーグ戦全敗。

引退試合となった最終戦は
K大医学部戦に14対6と
タッチダウン1本の差で負けました。

翌年からの2部降格を置き土産にして
引退していく自分たちに
後輩から「お疲れさまでした」と花束をもらう
複雑な心境を今でも憶えています。

遠い千葉県にあるグラウンドでの最終戦でした。

帰りの高速道路の大渋滞の中で見た
ディズニーランドの花火が
学生生活の終焉を告げていました。



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2017.09.19 Tue l 思い出 l COM(0) TB(0) l top ▲
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16歳のとき、
親には予備校の模試を受けると言って
原付バイクの免許を取りました。

原付バイクは筆記試験だけなので
薄い問題集を買って
一夜漬けで試験場に行ったのです。

模試ではなく
バイクの免許を取って来たことが
バレた時の父の落胆した顔は
今でも脳裏に焼き付いています。

結局、免許だけでは飽き足らず、
先輩からヤマハのМR50という
オフロードバイクを1万円で
譲ってもらいました。

親のこころ、子知らずと言いますか、
当時、原付はノーヘルで
乗ることが出来たので調子に乗って
代ゼミの夏季講習なんかにも
バイクで通いました。

靖国通りで左折してきたバスと
接触しそうになって転倒。

膝が血だらけになりましたが、
頭を打たなくて良かったと
今さらですが、つくづく思います。

さすがにそれ以降は
ヘルメットをかぶることにしました。



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2017.09.14 Thu l 思い出 l COM(0) TB(0) l top ▲
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セミの鳴き声も活発になって来ました。
まだまだ夏は続きます。

先日、いとこ達と会いました。
子どもの頃は夏休みのたびに
一緒に遊んでいた記憶があります。

今思えば、単に親が実家に
帰省していただけなのですが、

自分世代の親たちは戦中派。

兄弟が4、5人いるのは当たり前で
いとこもネズミ算式に大勢いました。

少子化の進むこれからの時代は
いとこの数も減っていくことでしょう。

辞任や離党、さらには不倫と
代議士の先生がたもお忙しいことと思いますが、

やっぱり、安心して子育てしていける
社会を作ることを最優先に
頑張って頂きますようにお願いします。

兄弟でもなく、友だちでもない
いとこたちと久しぶりに
いろいろな昔話に花が咲いて

遠い夏休みの記憶に
思いが馳せたひとときだったのです。



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2017.07.28 Fri l 思い出 l COM(0) TB(0) l top ▲
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駅というのは
旅の楽しさがある一面、

別れの場所でもあるわけで
妙に感傷的なところです。

残念ながらと言うべきか、
幸いにもと言うべきか、

恋人や愛する人との
駅での別れと言うものは
これまで経験がありませんが、

浪人が決まった頃に
予備校の寮を訪れてくれた父と
国鉄(JR)の改札口で別れた後に

寮まで戻る足取りが
何とも言えずに重かったのは
今でも覚えています。

あの頃の父と
ちょうど歳が同じくらいになりました。

父が無口だった理由も
何だかよく分かるのです。



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