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診療所は、
昨日から明日15日の金曜日まで。
3日間、お休みさせて頂いています。
16日土曜日から通常診療いたします。
7年前の2001年。
大学病院に勤務していたとき、
夏休みを9月に取りました。
グアム。
3泊4日のささやかな
海外旅行に行きました。
さて、帰国前夜。
折から、台風が日本を直撃していたので、
NHKの国際放送で
関東地方の台風のニュースを見てました。
「台風で成田に着陸出来なくて、
名古屋にでも降りることになったら、
新幹線の電車賃ってでるのかなー。」
などと
のんきなことを考えていたら、
突然、
ニューヨークの世界貿易センタービルが
炎上している場面に
画面が切り替わりました。
現地記者がレポートしている間にも
もう一機、ツインタワーの南棟に突っ込みます。
そう、その日は9月11日でした。
「うわー、えらいことだ。」
と驚愕しましたが、
まさか自分が帰国出来なくなるとは
その時は、思いもしません。
深夜、旅行代理店から電話。
「空港が封鎖されたので、本日帰国できません。
ホテルで待機してください。」
そうだ、グアムってアメリカだったんだ。
考えてみりゃ、アンダーソン空軍基地だってあるじゃありませんか。
翌朝、病院に電話をすると医局の秘書は
「いーですねー。
バカンスが伸びて。」
と、これまた不謹慎な発言。
とにかく、外来や検査のdutyを
ほかの先生に代わってもらいました。
それからは、いつ空港封鎖解除になるか
見通しがまったく、わからないまま、
悶々とグアム島の「バカンス」を延長しました。
ただでホテルに泊まれるわけでもなく、
お金もどんどん、なくなっていきます。
いつ、代理店から連絡があるかも分からず、
テレビのニュースをみながら、
ABCストアでカップめんを買って
食べていました。
グアム島は、1週間も観光客の入れ替えがないと
ショッピングモールも閑散としてきます。
Duty Free Shoppersは正午から夕方5時までに
営業時間が短縮されてしまい、
ますます、ホテル周辺が陰気くさくなってしまいました。
夜になると、
「いやー、家族とずっと一緒で息がつまりますよ。」という
よそのお父さんとロビーで語り合いました。
ようやく、5日目に空港封鎖が解除。
JALやANAは邦人の帰国を早めるために、
バンバン臨時便を出していましたが、
ドクターフリッカーが使った
ノースウェスト航空。
臨時便なんか出してくれません。
キャンセル待ちで、3泊4日の予定が
9泊10日の長旅になってしまいました。
いや、開業している今だったら、
大変なことになっていたでしょう。
その時はグアムは、
もうたくさん!と思いましたが、
うーん。
そろそろ、また行きたいな。