

↑↑共感して頂けたら、クリックお願いします。
オリンピッックに
気を取られている間に
プロ野球のキャンプも終盤。
オープン戦もたけなわです。
昨日はたった一打席。
ナゴヤドームで
立浪選手の引退試合。
立浪選手のいなくなる
ドラゴンズで、どんな新戦力が
出てくるのかと楽しみに
していましたが、
とんでもないものが
出てきてしまいました。
ドミニカ出身の
ネルソン投手のかばんから
何と「実弾一発」が見つかりました。
ドミニカでは護衛のために
銃を持つことも「合法」だそうですが、
うっかり、「実弾」が入った
かばんで来日した後、
そのまま沖縄入りして
名古屋に戻るときに
手荷物検査で発覚したそうです。
豊見城署がネルソン投手を
銃刀法違反で送検し、
結局、那覇地検は
「ただの不注意」だったとして
寛大に同投手を釈放しましたが、
シーズンが始まる前から
もうがっかりと言うか、
相変わらず、中日球団の
管理の甘さには失望します。
これは、選手のマナーとか
品格の問題ではありません。
そういう国から
選手を連れてくるのであれば
当然、注意すべきことであり、
理由はどうであれ、
ユニフォームを着た
支配下選手が、「実弾」を
所持していたのは
前代未聞で加護できません。
選手本人はもちろんですが、
編成部を含めたフロントも
きちんとファンに事情を説明し
謝罪して、けじめをつけるべきです。


↑↑共感して頂けたら、クリックお願いします。
女子フィギアスケート。
ふだんは
フィギアスケートなんて
見ませんが、
昨日は朝から待合室の
モニターをテレビの
オリンピックライブに
合わせていました。
昼休みに待合室に
出てみると、ちょうど
鈴木明子選手が「演技」を
しています。
いやー、素晴らしかったですね。
ドクターフリッカー、
フィギアスケートの
技術的な凄さは理解できませんが、
プレー中の鈴木選手の顔、
そして、終了した時の充実した顔。
なかなか、
見ることのできない素晴らしい表情で、
思わず、こちらまで涙が出そうに
なりました。
モニターからは「音声」が
出力されないのですが、
「画像」だけで十分伝わってきました。
やっぱり人間、
努力をしないといけません。
積み重ねたものが開花する
「瞬間」に心から感動しました。
何ごとも、
あえて、能率悪くやることも
ないでしょうが、
楽して、得られるものでは
感動は生まれません。
鈴木明子選手のことは
まったく知りませんでしたし、
滑っているところを観たのも
昨日が初めてですが、
8位入賞おめでとう。
浅田選手は銀メダル。
安藤選手も5位入賞。
思うところはそれぞれ
あると思いますが、
うれし涙も、悔しい涙も
流す涙は、メダル以上に
輝いていました。
3選手の活躍は
日本中のみんなが
忘れないでしょう。


↑↑共感して頂けたら、クリックお願いします。
今、この国の「官僚」
いわゆる「お上」は
療養型医療施設、
いわゆる「介護療養病床」を削減し、
2011年度末で廃止しようと
しています。
「介護療養病床」をなくして
「ムダ」な終末期の過剰医療をなくして
ご高齢の方々を「在宅」で「介護」して
医療費を減らそうという目論見です。
昔の日本、例えば、
「サザエさん」の家のように
平屋で部屋もたくさんあって、
家族も大勢いれば、たとえ「波平さん」に
「介護」が必要になっても
「マスオさん」も働いているし、
専業主婦の実娘「サザエさん」も
いるので何とかなるかも知れません。
しかし、今の現実の社会では、
厳しい住宅事情や経済状況で
核家族化が進み、「大家族」で
広い家に住むことは大変難しいことです。
そうなると、
卒寿の親を、古希の子が、あるいは
米寿のご主人を、傘寿の奥さまが
家の中を介護ベッドに占拠されながら、
「老老介護」をしなければならず、
介護者の疲弊は進む一方です。
「在宅」が難しい要介護者が
入居する公的福祉施設、
「特別養護老人ホーム」も
自治体や福祉団体が作っていることは
作っています。
しかし、
入居まで数年待ちという惨状で
「運がいい方」しか入居できません。
お金がある人は「民間経営」の
「有料老人ホーム」もありますが、
みんながみんな、
そんな「贅沢」なところに
入居できる経済事情であれば
最初から苦労はないわけです。
もう一つ言えば
こういう施設には医者は常駐
していません。
きれいなパンフレットには
「提携病院」だの「看護師常駐」
みたいなことが書いてありますが、
基本的に「病院」ではありませんから、
医療行為を受けることはできません。
もともと「介護」を受けなければ
ならない方々です。
年齢的に考えても
様々な「医療」が必要なことは
想像に難くありません。
こういう「お上」が机の上で
考えた理解に苦しむ「法律」で
仮に「医療費」が減ったとしても
「介護」を受けるためは
今度は自治体の財政を圧迫させ、
さらに、利用者の経済負担も
増やしている訳です。
良心的な医療法人や自治体は
療養型医療施設を堅持し、
献身的な医療を継続していますが、
「お上」や「中医協」の
「サザエさん」級の方々にとって、
「介護療養病床」は「医療費」が膨らむだけの
「金食い虫」としか思われていません。
長妻昭厚生労働大臣は
「介護療養病床」の廃止について
計画の見直し案を夏以降に
出す考えを示したそうです。
「介護療養病床」の
医療のありかた自体については
今後も検討を要するかも知れませんが、
是非とも、厚労相には
現状を良くご賢察いただき、
「お上」の言いなりにならないよう、
切にお願いする次第です。


↑↑共感して頂けたら、クリックお願いします。
昨晩は
都筑区医師会の「班会」。
お忙しい平日の夜ですが、
14名の先生方が
お集まりくださり、盛会でした。
世代もいろいろ、
出身大学や専門もいろいろ、
医者同士と言っても
「班会」でもなければ
一緒にテーブルを
囲むこと機会もそうそう
ありませんが、
縁あって同じ地域で
医療という「スクラム」を組む
「同志」です。
「開業医」として
これからも、10年か20年か、
いや、もっと長い先生もいるかも
分りませんが、渾身一滴、
地域の方々、患者さんの
役に立っていきたいと
思っているわけです。
4月の診療報酬改訂で
再診料が引き下げられようが
うだうだ、引きずってるヒマは
ありません。
そんな、先生がたの
熱い思いを感じる今年度最後の
「4班」の「班会」でした。
2年前に誕生した
新「4班」の班長に任命された
ドクターフリッカー。
ま、班長と言っても
班会で会費を徴収するくらいの
仕事しかしませんでしたが、
別にドクターフリッカーが
お金をもらうわけではないのに
会費徴収のときに、
ペコペコと頭を下げてしまうのは
何故なのでしょう。
2年間、班長を務めたので
3月をもってお役御免のつもりでしたが
成り行きでもう一年、
班長をやることになりました。
・・・。
マジすか・・・。
日本医師会は会長選挙が
3月1日に公示されるそうです。
ま、誰が会長になろうが
「政権」に寄り添うのではなく
「日本医師会」として「医療」を
どうしたいのか、
そういう「肝心」なことを
見えるようにしなければ
「日本医師会」の存在意義は
ないに等しいでしょう。
小さな地域の「班」ですが
「同志」の先生たちと
「声」は発信し続けたいと
思うドクターフリッカーです。


↑↑共感して頂けたら、クリックお願いします。
WHOでは、緊急委員会で
新型インフルエンザの
パンデミックがピークを越したとの
宣言を見送りました。
まだ、都筑区、港北区でも
患者さんはチラホラ出ているので
少し心配ですが、
それでも、日本では
「新型」については最盛期の勢いは
収まってきた感じがします。
来シーズンは、
もう「新型」とは
呼ばれないでしょう。
昨年11月のWHOのまとめでは
新型インフルエンザによる死者は
人口100万人当たりで
北半球でもアメリカで3.3人、
カナダで2.8人でした。
ところが、日本は0.2人と
極めて低い死亡率です。
欧米では発熱だけでは
医療機関を受診せず、
重症化してから受診するようですが、
日本は皆保険制度のため、
発熱すれば医療機関を受診し、
抗ウイルス薬を服用できます。
とかく、批判の的になる
日本の医療。
医療費の高騰ばかりを責め、
まるで「医者」が儲けているから
「医療費」が上がるんだと
言わんばかりのマスコミと財務省ですが、
新型ワクチンの供給される
ずっと前から最前線で
新型インフルエンザの治療に
あたった実地医家と
脳症や心筋炎などの
診断で重症化が懸念される
患者さんを引き受けてくれた
高次医療機関の見事な連携で
世界に誇れる
新型インフルエンザの致死率の低さ
を達成したのではないでしょうか。
どこのマスコミも取り上げず、
だれも、賞賛しませんが、
ドクターフリッカーは
自分も含めて日本の医療従事者を
ほめてあげたいです。
「ニッポンの医者は
よくやった!金メダルだよ」。


↑↑共感して頂けたら、クリックお願いします。
「外交」と言うものは
ホントに難しいと思います。
例えば「領土問題」。
「北方四島」については
「政府」が新聞広告を
載せるほどアピールしているのに
「竹島問題」は
まるで腫れものに
触るかのようです。
例えば「捕鯨問題」。
調査捕鯨だろうが、
何だろうが、
人間同様、知恵も理性もある
イルカの仲間のクジラを
獲って食う、野蛮な日本人は
「シーシェパード」に
どんなに横暴なことをされても
「大人の対応」しかできません。
一体、何をそんなに
恐れているのかと思うような
及び腰の日本の「外交」です。
極めつけは
「普天間基地問題」。
そもそも、
「日米安全保障条約」ありきが
前提のつもりのアメリカにしてみれば、
「基地」を「県外」だ「国外」だと言う
議論自体が、まさに「論外」と
思うのも当然なのかも知れません。
アメリカにも、沖縄県にも、
そして、政策が折り合わない
連立与党にも納得してもらう解決方法。
ふー。
まるで、
「グー」「チョキ」「パー」の中から、
ジャンケンのチャンピオンを
決めるような難しさです。
ま、進んで
「世界の孤児」になるのが
良いことだとは思いませんが、
「迎合」と「妥協」ばかりでは
逆に国際社会での信頼は
得られないのではないでしょうか。
思うに、この国は
何をどうしたいのか、
はっきりとした「目標」がないんです。
だから、その場、その時で
周囲に調子を合わせていて
後からニッチもサッチも
行かなくなるわけです。
いや、もう「目標」を
持てなくなってしまったのかも
知れません。
戦後、アメリカの庇護のもと
ぬるま湯の中で、ぬくぬくと
私欲を肥やし、「経済大国」に
なった日本。
いまさら、全てを捨てて
裸一貫からでもやってやるぞと言う
気概はどこにもありません。
失うものが多すぎて
守りに入ったあげく、
逆に不況が悪化して、国民は
瀬戸際です。
ま、「普天間」のことで
ドクターフリッカーに
無責任に言わせてもらえば、
ここで、たとえ「日米関係」に
亀裂が生じようとも、
沖縄県民の希望通りに
アメリカ軍を完全撤退させるのが
「正論」だと思います。
「国民の意思」をもとに
「外交」を進められなければ
まったく意味がないからです。
その結果が、
どういうことになるのかは
その後の歴史が雄弁に
語ってくれるでしょう。


↑↑共感して頂けたら、クリックお願いします。
♪ やわーらの道に命をかけた
男の意地が火と燃える
よるーな さわるなー はじけて飛ぶさ ♪♪
昨日はかねてからの
ドクターフリッカー2世の希望で、
八景島シーパラダイスに
イルカを観に行ってきました。
ドクターフリッカー的には
海の風がまだ寒いだろうし、
イマイチ、気が乗りませんでしたが、
「シーパラ」、
「恋する遊び島」だと思っていたら
いつの間にか
「海はともだち」にキャッチフレーズが
変わっていました。
出かけてみれば
風も少なく、日差しも暖かく、
絶好の行楽日和。
恋人同士や
家族連れで賑わう中、
一組のカップルにシャッターを
押して下さいと頼まれたとき、
2世がその二人の前で
ポーズをとっています。
このひと、自分の子どもも
写真に入れているんじゃないかと
不安そうなカップルでしたが、
当然、レンズにはカップルしか
写っていませんから、
お二人さん、ご心配なく。
イルカやアザラシを
一通り見物して、遊園地。
「ピーターパン 」や「レッドバロン 」は
身長制限もなく2世も
並んで乗ることができました。
ま、ディズニーランドほど、
混んではいませんが、
「トーマス」や「アンパンマン」、
「ドラえもん」などの遊戯施設が
そこら中にあるところが、
近所のスーパーマーケットみたいで
「微妙」な「シーパラ」です。
少し、日が傾きかけた時、
遅めの昼食を食べようと
「櫻木庵」という
おそば屋さんに入りました。
店の前には
何だか見覚えのある写真が
飾られています。
あら、これ「柔道一直線」の
一条直也じゃん。
なんと、「櫻木庵」、
「柔道一直線」の一条直也こと
桜木健一さんが昨年12月に
オープンしたおそば屋さんでした。
桜木さんと言えば
「柔道一直線」ばかりでなく
「刑事くん」などでも活躍され、
ドクターフリッカーにとっては
子どもの頃のヒーローです。
「ミキッペ」こと吉沢京子さんも
可愛かったですね。
お店では桜木さん、自らが
真っ赤な柔道着姿で大きな声で
接客されていらっしゃいました。
ドクターフリッカー、
「大えび一本」という
天ぷらそばを注文しましたが
感動して味なんてわかりません。
ご迷惑かと思いましたが、
2世と桜木さんで
ツーショット写真をお願いすると
快く撮らせて頂けました。
帰りのクルマでは
ドクターフリッカーがひとり、
興奮して「柔道一直線」を
歌って帰ってきましたが、
やっぱ、芸能人って
オーラがありますね。
いやー、「シーパラ」、
行って良かったです。
♪ あーああ あああ あーああ あああ
柔道一直線 ♪♪
とりゃあー!!


↑↑共感して頂けたら、クリックお願いします。
循環器をローテーション
していた時ですから、
研修医の2年目の頃でしょうか。
病棟のナースに
タグ・ホイヤーの腕時計の
カタログを見せられました。
何でも、彼氏が
直営店に勤めているとかで
良かったら買わないか
ということでした。
当時はバブルも全盛。
先輩のドクターたちは
バブリーな腕時計を物色
していましたが、
薄給研修医の
ドクターフリッカー、
そんな、高価なものは
買えません。
それでも、ちょうど
防水機能がない安物の
腕時計が水に濡れて
ダメになっていたので
カタログだけは
見せてもらいました。
お、これなら何とか手が届きそうだと、
確か、30,000円也の
「プロフェッショナル200」
というのがが見つかりました。
自動巻きのダイバーズウォッチです。
腕時計がないと
脈拍を測るのにも不便なので
思い切って、購入しました。
いや、当時にしたら
とんでもない高価な買いものです。
以来、20年間。
過酷な大学病院生活は
「プロフェッショナル 200」に
とっても過酷だったでしょう。
救命センター、重症当直、
患者さんとの喜びや悲しみの場面、
苦楽を共にして来ました。
いつもドクターフリッカーの
左腕には「プロフェッショナル200」
がいてくれました。
今は傷だらけで、表面のガラスは
くもっていますが、それでも、しっかりと
時を刻んでいます。
開業してからは、
あまり使わなくなったばかりか、
最近、新しい腕時計に
色気がでていたドクターフリッカー。
「プロフェッショナル200」の
声が聞こえました。
「オレ、まだちゃんと動くよ。
ずっと、一緒だったじゃんか!」
一度、きちんと
オーバーホールに出そうかな。
買った値段より高くつくような
気もしますが。


↑↑共感して頂けたら、クリックお願いします。
スノーボードという
スポーツは経験がありませんが、
バンクーバーの
ニュースをテレビで観ていると
みんな、楽しそうに滑っています。
楽しいのでしょうね。
観客も多いのでモチベーションも
高まることでしょう。
やっぱり、スポーツは
「悲壮感」が漂ってては
いけませんな。
「巨人の星」じゃあるまいし。
楽しくやってこそ、
スポーツってもんでしょう。
「服装問題」で
話題になった日本の代表選手も
本当にいきいきとした顔を
していました。
8位入賞、おめでとう。
よく知りませんが
「ダブルコーク」とかいう
大技に挑んでかっこ良かったです。
ま、なんと言いましょうか。
当然、スポーツですから
辛い練習もあるはずです。
その上で楽しみながら、
最高のプレー、パフォーマンスを
出し切るというのは
実力がなければ出来ません。
ましてや、アマチュア。
サングラスをかけ、
ワイシャツのすそをベルトの外に出し、
スラックスは腰骨まで下げてはく
なんて格好は今どきの人たちに
とっては「普通」なんでしょう。
さー、これから、
「晴れ舞台」でいっちょやるか、
って時に空港での「服装」まで
とやかく言われたのは
面白くなかったでしょうし、
ドクターフリッカー的には、
だいたい、あのヘアスタイルで
きちんと制服を着ているほうが
よほど違和感あると思いますが。
昔、東京五輪のときの
銅メダリストのマラソン選手が、
「幸吉はもう走れません」と
自ら、命を絶ちました。
こんなことが
あって良いのでしょうか。
アマチュアスポーツの祭典ですよ。
オリンピックって。
「漫画家」と言う肩書きのくせに
面白いマンガも描けない
「やく何とか」っていうひとが
件の選手に対し
「本国に召還すべきだった」とか
言ってますが、一体何サマでしょう。
大相撲やら、オリンピックやらに
なんでもご意見番気取りの
このオッサンのほうが
見ていて不愉快です。
だいたい、室内では変な帽子は
脱いで頂きたいですね。
それよりも、
「国会」で野次を飛ばしている
センセイがた。
本当に「日の丸」背負っている
覚悟があるんでしょうか。


↑↑共感して頂けたら、クリックお願いします。
昨晩は新横浜まで
某製薬メーカー主催の講演会に参加、
のはずでした。
昨日の講師は、日ごろ、
お世話になっている大学病院の
循環器の先生。
狭心症や心筋梗塞などの
「虚血性心疾患」に対する
高血圧治療についてエキスパートの
ご講演を伺える絶好の機会です。
診療終了が大幅に遅れて
あせってクルマを飛ばして
新横浜に向かいました。
ところが夜の第三京浜、
港北インターの出入り口が
思いがけない渋滞で通過に
大幅に時間をとられてしまいました。
万事休す。
それでも、せめて後半だけでもと
会場にたどり着いたときは
すでに「ご講演」は終了し、
「質疑応答」に入っていました。
きまりが悪いこと、この上ありません。
さらに最悪だったのは、
夕食はこの講演会で出して頂ける
「お弁当」をアテにしていたこと。
持ち帰れる「お弁当」ではなく、
主催の製薬メーカーの方は
気の毒に思われたのでしょう、
「どうぞお弁当だけでも
食べてって下さい」と言って
下さいましたが、
しかし、まさか、だだっ広い講演会場で
ひとり残って「お弁当」を
黙々と食べるわけにもいきません。
「いや、遅刻してすみません」と
会場を後に、ついさっき入庫した駐車場から
あっという間に出庫して、
帰り道で「ねぎ塩ラーメン」を食べて
診療所に戻りました。
ドクターフリッカーも
日ごろ、高血圧の患者さんに
「食事は薄味で、
塩分は控えめにして下さい」
と、申し上げてますが、
塩分の摂り過ぎは
血中のナトリウム濃度を高め、
それを薄めようと水を飲んだり、
腎臓での尿の再吸収が促進します。
その結果、細胞外の体液が
過剰に貯まって高血圧を来す
という訳です。
「高血圧」の勉強のはずが、
しょっぱい「塩ラーメン」に
なってしまったドクターフリッカー。
自己嫌悪に陥りながら
カルテのバックアップをしました。
時間さえ都合がつけば
出来るだけ勉強会や講演会には
参加したいと思っていますが、
だいたい、
始まる時間が夜の7時半くらい。
もうちょっと
遅い時間だと遅刻しないで
参加出来るのですが、
なかなか、難しいものです。


↑↑共感して頂けたら、クリックお願いします。
神奈川県平塚の
産婦人科で産声を
あげたドクターフリッカー。
1歳になると直ぐに
横浜市金沢区富岡に引越しです。
この頃の記憶は
まさに茫漠としていて
丘の上から
京浜急行を親父と一緒に
眺めていたくらいしか
覚えていません。
2歳か3歳の頃、
二俣川に引越し。
二俣川の家は
間取りも覚えています。
テレビでは白黒で
「ウルトラマン」や「おそ松くん」を
観ていました。
そうそう、「へびイチゴ」を
取ろうとして川に落ちたことも
ありました。
親父はまだ医者として
キャリアが浅かったので
研究やら出向やらで住まいが
落ち着かなかったのでしょう。
幼稚園に入る頃には、
川崎市の百合ヶ丘に引越し。
何と、当時は
近くにまだ幼稚園がなく
宿河原まで「みどり幼稚園」という
ところに通っていました。
この頃になると
先生の名前も覚えています。
「くろだ先生」。
祖父が急逝した為、
急きょ、今度は東京に
行くことになり、品川区に引越し。
しばらく、近くの
アパートに暮らした後、
親父の実家に引っ越しました。
家に電話があったのと
カラーテレビがあったのには
子ども心に驚喜しました。
小学生になっていた
ドクターフリッカーも転校し、
大井町の小学校に
2年生から通いました。
6年生のとき、
親父が急に「皮膚科」一本で
千葉で開業すると言い出し、
中学進学と同時に
千葉県市川市に引越し。
そうそう、この時は
転居先のマンションがまだ
完成しておらず、
半年ほど、小さなアパートに
仮住まいをしてました。
中学は都内で市川から
2時間かけて通学しました。
大学浪人が決定すると
中野にあった
予備校の寮生活。
大学入学後は
柿生、たまプラーザと
アパートを移り、
研修医のとき、ようやく
港北ニュータウンに流れ着きました。
結婚してマンション暮らしを
していましたが、
ドクターフリッカー2世誕生を機に
「将来、子ども部屋が足りない」と
やっと、今の家にたどり着きました。
港北ニュータウンは
転勤などで転居される方も多く、
患者さんからも
「引越しばかりで子どもが
心配なんです」という話を
よく伺いますが、
なーに、全然、だいじょぶです。
13回も引越しした
ドクターフリッカー。
引越しの度に余計なものは
捨てられちゃうので
思い出はその分、しっかり
心に刻まれてます。


↑↑共感して頂けたら、クリックお願いします。
先頭打者で出塁して
一塁コーチに小さく会釈をして
レガースをはずして手渡す。
あるいは
送りバントを決めた後、
ベンチに戻ってチームメイトと
小さくタッチをする。
小さいけれど
チームを勝利に導くために
「仕事」を成し遂げた後の
充実感に満ちています。
こうした
「野球選手の仕事」は
「開業医の仕事」にも通じる
ところがあります。
五感を研ぎ澄ませて、
いや、場合によっては
第六感も動員して
診察ともろもろの検査から
小さな所見ポイントを
見逃さずに捕えることが
出来た時の気持ち。
先頭バッターで出塁したり、
バントを決めた選手の気持ちと
多分、一緒なのではないでしょうか。
「診断」を決めた後は主軸たる
中核病院や大学病院にまさに
タイムリーに治療を
していただく訳ですから、
ドクターフリッカーは
ヒーローインタビューの
お立ち台には登れません。
そりゃー、
ドクターフリッカーだって
逆転満塁ホームランをかっとばして、
雄たけびを上げ、ガッツポーズで、
三塁コーチと手が痛くなるような
ハイタッチをしたいですが、
そうそうホームラン級の仕事は
出来るもんじゃありません。
日々、丁寧に小さな「診断」を
積み重ねることが
「開業医」の仕事なのだと、
開業して7年近くもかかって
ようやく少しだけ分ってきた
ような気がします。
ま、野球と医療は
まったく別物ですが、
ひとりで全てが
出来ることばかりではない
ということは共通しています。
今日も、しっかり
「バント」を決められるように
「バッターボックス」ならぬ
「胃カメラ」に臨みましょう。


↑↑共感して頂けたら、クリックお願いします。
ドクターフリッカー、
この「不景気」な
ご時世でも「国民の義務」として
「納税」します。
当たり前のことですが。
予定納税やら
源泉徴収やらで
払っているのに
これ以上、何を持って行く
と言うのでしょう。
納得が行かないのは
課税対象になるのは
今年の2月の入金のぶんまで
という何やら訳のわからない
「税法」です。
何のために12月〆で
源泉徴収表を頂いているのか
意味が分りません。
ま、12月の診療報酬が
2月に振り込まれるから
なんでしょうが、
大阪商人風に言えば
「商いした分の税金は
きっちり、払うてもらわな、
あきまへんな。
集金がまだかて、
知ったこっちゃありまへんわ」
と、言うことでしょうか。
未入金でも税金は払わなければ
いけない仕組み。
サラ金から借りてでも
払えということでしょうか。
お金と言いますか
数字に弱いドクターフリッカー。
苦手なんです。「確定申告」。
いや、
喜んで「納税」するひとは
いないでしょうが、
ひと昔前は
「高額納税者一覧」なる
冊子があり、
そこに掲載されることを
「ステータス」と
思っていらっしゃる方も
いたそうですから、
世の中、分らないものです。
こういうことを書いていると
「国税局」からマルサが
やって来るかも知れませんが、
マルサって「査察」の「サ」
だったんですね。
お味噌のメーカーかと
思っちゃいました。
よく、お電話とかで
「節税対策」としての
不動産だとか、証券だとかの
お話も伺いますが、
ありがたいお話なんでしょうが、
途中から話についていけない
ドクターフリッカーです。
税理士や会計士の
先生まかせにしないで、
少しは勉強した方が良いのかも
知れません。


↑↑共感して頂けたら、クリックお願いします。
♪ ラーブレター フロム カナダー
もしも あなたが一緒にいたらー
どんなに楽しい旅でしょうー
ラブレター フローム カナーダー ♪♪
うっかりしていましたが、
バンクーバーでの
冬季オリンピックが
もう始まっているのですね。
カナダと言えば
「カナダからの手紙」くらいしか
思いつかない浅学の
ドクターフリッカーです。
そう言えば
この曲がヒットしている頃、
モントリオールで夏季オリンピックが
開催されたこともありました。
一世を風靡した
「ナディア・コマネチ」が
活躍した大会です。
当時、中学生の
ドクターフリッカー、
シェーキーズのピザを食べながら
「カナダドライ」の
ジンジャーエールを
よく飲んだものです。
そう、この大会、
前総理大臣が射撃選手
日本代表として出場してたんですね。
全く知りませんでしたが。
えっと、いや、
バンクーバーの
話でしたっけ。
カルガリーに続いて
2回目の冬季オリンピック
ということですが、
カルガリーの時は、
スピードスケートで黒岩彰選手が
銅メダルを獲得しました。
引退後、コクドから
西武ライオンズに出向している時、
あの松坂大輔投手の「駐車違反」で
身代わり出頭したことでも
有名な方です。
ああ、そうそう、
バンクーバーでしたね。
いや、個人的には
浅田真央選手に悔いのない
演技を見せていただきたい
と思います。
フィギュアスケートのことは
何にもわかりませんが。
昨日の女子モーグルだって
メダルは取れませんでしたが
全員、決勝進出で立派なものです。
そう、結果はどうでもいいんです。
大事なのは、目的に向かって
努力すること。
ここまでやって来たということです。
選手の皆さんはそれを全て出し切って
満面の笑みで帰ってきて下さい。


↑↑共感して頂けたら、クリックお願いします。
今日はバレンタインデー。
小学生最後の
バレンタインで失敗した
ドクターフリッカー。
その後はチョコレートとは
無縁の人生を歩んできました。
ええ、
男子校だったんです。
中学校から。
そりゃね。
何たって、まだ、
中学生ですから。
夢をみると言うか、
妄想しちゃいますよ。
朝、国鉄(当時)の
駅に着いて、
ホームから地下鉄の乗換え口に
行くわけです。
すると、地下鉄改札口の
そばに、時どき見かける
女子中の子が立ってるんです。
通り過ぎようとする
ドクターフリッカー。
「あの、これ、もらって下さい」
「え?オレに?」
・・・。
なんてね。
呆れるじゃありませんか。
そんな「ありっこない夢物語」を
中学1年から高校3年までの6年間、
バレンタインの日は毎年、
「妄想」をしながら登校したものです。
「今年こそ」、「今度こそ」ってね。
笑ってやってください。
いや、自分のことながら
ドクターフリッカー、
不憫で泣けてきますよ。
ちくしょー。
チョコレートなんて
大っ嫌いだー!


↑↑共感して頂けたら、クリックお願いします。
社会生活を
がんばっていると、
医者に通うことは
結構、大変なんです。
昨日も、そんな患者さんが
定時を少し遅れていらっしゃいました。
「こんな時間なのに、ありがとう」。
いや、とんでもありません。
もう、その一言で
ドクターフリッカー、
もう、心がいっぱいになりました。
ドクターフリッカーの
診療所は夕方6時半までの
受付。
でも、継続しなければ
いけない治療のために
がんばって、来院される患者さんは
応援します。
医師会の仕事などで
ご要望に沿えないことも
あるかも知れませんが、
あらかじめ、ご相談下さい。
出来るだけ対応したいと
思っています。
急に悪くなった病気、
インフルエンザやノロウイルスも
辛いですが、
長い治療が必要なのも
別の意味で大変だと思います。
仕事、家庭や育児と治療。
長く、いくつものことを
掛け持ちしなけりゃなりません。
長丁場ですから
なかなか、時間の都合が
つかないこともあると思います。
そりゃ、病気の治療ですから
明るく、楽しくと言うわけにも
いかないかも知れませんが、
出来る限りのお手伝いは
したいと思います。
薬局も開けて待ってて
くれます。
検査会社も検体の回収に
もう一度来てくれます。
一人ではありません。
みんなで一緒に頑張りましょう。


↑↑共感して頂けたら、クリックお願いします。
昨日の「建国記念日」は
電子カルテのバージョンアップ、
入れ替え作業で
一日、費やしました。
ま、大きく見栄えは
変わっていませんが、
今日から機種が
新しくなって気分一新。
「新装開院」です。
7年分のカルテのデータを
新しいコンピュータに
移行してくれたのはメーカーの
技術担当の方、2名です。
昨日の朝10時から
はじまって夜8時過ぎまで
かかりました。
本当に長時間、
ありがとうございました。
新しいレセコン機能は
レセプトオンライン請求
にも対応できます。
もちろん、これまでの
セット検査やセット処方、
文字変換の登録なども
きちんと移行できているようです。
作業終了後、簡単ですが
レクチャーを受けたので
今日の診療は大丈夫だと思いますが、
まごまごして、患者さんに
迷惑をかけないように
しなければいけません。
ところが、こういう心配は
「お上」のひとには
分かってもらえないようです。
今年の診療報酬改定では
とうとう「開業医」の再診料が
全く意味不明に引き下げられました。
もともと「病院」に
外来患者さんの数を減らす努力を
させようと「お上」が勝手に
「病院」の再診料を引き下げておいて、
「格差」だ「偏在」だと
マスコミを扇動して「お上」が
騒ぎ立てたあげく、
今度は「開業医」までもが
再診料の引き下げです。
電子カルテを入れ替えることなど
「町医者の贅沢」ぐらいにしか、
「お上」には思われていないのでしょう。
しかし、開業して
「たったの7年」で電子カルテを
入れ替えることは
言いたくはありませんが、
大変なことです。
さて、
愚痴を言ってても
始まりませんね。
今日は早めに
診療所に行って
さっそく、バージョンアップした
電子カルテを起動しましょう。


↑↑共感して頂けたら、クリックお願いします。
昨日、母校の外来の後、
「教育棟」の中にある
書店に行きました。
そう、今年も
「今日の治療薬」を
購入するためです。
毎年、更新されて
新薬や効能追加ばかりか、
併用禁忌や後発品まで
掲載されているので
外来診療には
かかせない「虎の巻」です。
他にも「お薬の本」はありますが、
「今日の治療薬」の
使い勝手が一番良いと思うのは
やはり、22年間、慣れ親しんだせい
でしょうか。
母校の書店に行くと、
普段、送られてくる「学会誌」には、
ろくに目も通さないくせに
あれこれ、気になって
ついつい「医学書」を
買いたくなりますが、
昨日、買ったのは
「今日の治療薬」と
基礎的な外来での
インスリン療法の本。
最近、ドクターフリッカーの
診療所でもインスリンの外来導入を
始めたので、知識の確認と
整理整頓のために購入しました。
さ、今日は祝日ですが、
念願の電子カルテの
入れ替えです。
電子カルテも新しくなり、
まだまだ、前進しなければ
なりません。
開業してから
8冊目の「今日の治療薬」。
10冊、20冊と
積み重ねて行くことが
できるでしょうか。


↑↑共感して頂けたら、クリックお願いします。
ドクターフリッカーが
開業してもうじき丸7年。
医局長の頃の研修医たちも
すでに立派な中堅医師になって
母校の屋台骨を背負っています。
ま、
ドクターフリッカーも
開業しなかったら
大学病院勤務を
続けていれば
それは、それなりに
充実もした医者生活も
送れたでしょう。
しかし、7年前に
何を血迷ったか、
本当に「勢い」だけで
開業した結果、
「挫折」とまでは言いませんが
思ってもみなかった「苦労」を味わい、
自信過剰になっていた
自分の「医療」というものが
いかに「狭い範囲」のことであったかを
思い知らされました。
でも、開業して
「町医者」になったおかげで
おそらく、大学病院では
気づかなかった多くのことを
勉強できました。
それは「医学」「医療」の
知識だけではありません。
少なくとも、
開業してからの
7年間という年月は
ドクターフリッカーを
「医者」として成長させたと
実感できるようになりました。
ま、自分で言ってりゃ
世話がありません。
昨晩は定例(?)の
ドクターMとの会食。
「いや、どうもお疲れさん」の
決まり文句から始まる
ささやかな会ですが、
お世辞を言って
腹を探り合うでもなく、
見栄を張って
体裁をつくろうでもなく、
今の世の中、なかなか
こうはいかないものですが、
開業したから
こういう「付き合い」も
できるのです。
「たられば」を言っていたら
だれでも「人生」が「後悔」で
埋もれてしまいます。
それよりも、
いま、いる場所、
現在のポジションを
しっかりやり切ることが、
やはり大切なことなのです。


↑↑共感して頂けたら、クリックお願いします。
1915年。
100年近い昔、
ベルギーのイープルという
小都市は第一次世界大戦の
激戦地でした。
ある日、ドイツ軍から
立ち上った黄色い煙は
イギリス、フランス軍を包み込み、
塩素ガスによる15,000人の
被害者を出しました。
以降、この大戦では
毒ガスの種類が増え続け、
ドイツ軍はボンベに「黄十字」のマークを
つけた「イペリオット」と呼ばれる
毒ガスを開発、使用しました。
ジクロルジェチルサルファイド、
通称「イペリオット」は
イープルでイギリス軍に甚大な
被害を出しましたが、
途中、参戦したアメリカが
「イペリオット」の合成に成功し、
ドイツ軍は返り討ちをくったのです。
「イペリオット」とは
その使用された地、イープルに
由来するそうです。
第一次世界大戦終結後、
ジュネーブ議定書で細菌兵器とともに
化学兵器、毒ガスの使用は禁止
されますが、
各国での水面下での研究が
続けられます。
「イペリオット」の「欠点」、
水に触れると加水分解し、
雨天では効果が半減してしまうこと、
強い異臭があるので相手に気づかれやすいこと
など、ドイツ、アメリカで「改良」の
研究が相次ぎました。
1942年、エール大学では
「イペリオット」の構造式の一部を
硫黄から窒素に変換して、
新しい「ナイトロジェン・マスタード」が
開発されました。
しかし、その強力な毒性の
実験の中で、悪性リンパ腫を移植された
ハツカネズミで腫瘍の縮小効果が
確認され、前例のない生命期間の
延長を認めたのです。
そう、がんの化学療法、
抗がん剤のあけぼのです。
実際、48歳の末期患者にも
「ナイトロジェン・マスタード」は
臨床試験として投与され、
一時的ではありましたが、
腫瘍の縮小、延命に効果を認めました。
抗がん剤が戦争の化学兵器、
毒ガスの副産物とは皮肉な話ですが、
化学療法がまさに
劇薬であると言うことも
納得できます。
抗がん剤は
極端な例かも知れませんが、
「医学」、とくに
「医療」は「諸刃の剣」であることが
原理原則です。
診療報酬の配分だの、
何たら加算だとか、
権利だの、義務だのという
次元ではありません。
突き詰めれば、
「大自然」の摂理に対して
人間が、どうやって挑もうかという
話なんです。
医者も患者さんも
もっと、謙虚にならなければ
いけないのかも知れません。


↑↑共感して頂けたら、クリックお願いします。
昨日の日曜日は
結局、腕時計を見に行くことに
なりました。
やっほー!
ところが、一応
正規代理店に行ったのですが
お目当ての「モデル」がなく
拝むことも出来ませんでした。
「お取り寄せします」と
言われましたが、
まさか、見るだけで
取り寄せてもらうわけにも
いきません。
「愛想笑い」をして
店を出てきましたが、
「冷やかし」と思われたでしょう。
外出してみると
風が強いぶん、快晴で
せっかくなので「羽田空港」まで
飛行機見物に行きました。
「JAL」のカウンターも
変わらずの賑わいで
大きなお世話ですが、
ちょっと、安心した
ドクターフリッカーです。
昼ごはんを食べると
2世が「モノレール」に乗りたいと
言い出し、何と「浜松町」まで
行ってきました。
ここまで来たら、
もう行くしかないでしょう。
そう、「東京タワー」です。
浜松町から増上寺、
東京タワーへと向かいました。
ドクターフリッカー、
生まれて初めて「特別展望台」まで
登ってみました。
西日を浴びて汗をかきながら
40分も並びましたが、
2世は、あっという間に
行列のよそのお子さんと
「お友だち」になり、
泊まりに行く「約束」をしていました。
お友だちは
「三鷹」に住んでいらっしゃる
ということしか分らないので
「お泊り」の実現は不可能です。
40分も待って登った
「特別展望台」。
ま、こんなものでしょう。
滞在10分足らずで
降りるのにも、
また、30分待ちです。
並びながら
小さく見える「国会議事堂」を眺めて、
世論調査で
与党幹事長の続投問題や
内閣支持率に厳しい評価が
示されたのにもかかわらず、
今夏の参院選比例代表の
投票先ではあい変らず
現政権与党が数字を伸ばしており、
つくづく「ねじれた」
ニッポンの行く末を案じた
ドクターフリッカーでした。


↑↑共感して頂けたら、クリックお願いします。
おはようございます。
ドクターフリッカーです。
寒い日が続きますが、
皆さん、いかがお過ごしでしょう。
いや、ドクターフリッカー、
2週間ぶりの「休日」です。
今日も寒そうですが、
天気は良さそうです。
久しぶりに「ショッピング」とか
行きたいなー。
とは言うものの、
さー、買ってみろと
言われても
何を買えば良いのか
よく分りません。
うーん、思いつくものは
ユニクロのヒートテックかな。
そう、そう、
診療所の玄関の「スノコ」が
壊れてたんだ。
あれもどうにかしなきゃ。
いや、
ドクターフリッカー2世が
家族になってから、
と、ゆーか、
結婚して一人暮らしが
終わった時点で
あんまり、「物欲」には
こだわらなくなってしまいました。
枯れてしまったのでしょうか。
えへへ。
でもね。実はちょっと
見てみたい「腕時計」があるんです。
いや、そんなに高価なものじゃ
ないんです。
いや、ホント見て、拝むだけ。
買うわけじゃないんです。
昨日、2世が八景島に
イルカを観に行きたいとか
言っていましたが、
さて、今日の日曜日。
どうなることでしょう。


↑↑共感して頂けたら、クリックお願いします。
9回裏二死満塁。
と言うのが
ふさわしいかどうか
分りませんが、
くすぶる「インフルエンザ」、
しぶとい「嘔吐下痢症」、
そんな診療が佳境に入る
午後5時にスタッフが
一人、ダウンしてしまいました。
一打逆転サヨナラの
ピンチです。
さー、気合を入れ直して
残ったスタッフたちで
仕事をしなければなりません。
「落ち着いて、
出来ることから、丁寧にね」
と、言うドクターフリッカーが
一番、落ち着いていません。
慌てても仕方がないと
分っていても
慌ててしまうドクターフリッカー。
ドタバタしないように、
やるべきことを端折らないように
残ったスタッフたちが
冷静沈着にサポートをしてくれました。
そう、ピンチになった時、
その人間、技量と言いますか、
「器」の大きさが分るというものです。
受付とナースのスタッフ、
なかなかの「器」でした。
診療終了後の
恒例の「お掃除」では
久しぶりに、ドクターフリッカー自身で
スリッパを拭いて、
ファブリーズしました。
一足、一足、
スリッパを拭いて、
「初心」に戻りました。
そう、最後は自分でやるしか
ないのです。
いや、「スリッパ拭き」の
話じゃありません。
いざとなれば
ドクターフリッカー、
一人でも仕事はしなくては
いけないと、
覚悟はしているつもりですが、
まだまだ、修行が足りません。
ダウンしたスタッフの
一日も早い快復を祈って
今日も慌てずに
頑張ります。


↑↑共感して頂けたら、クリックお願いします。
「におい」。
「いい匂い」もあれば
「嫌な臭い」もあります。
いわゆる「加齢臭」について
先日、
ドクターMのブログにも
書いてありましたが、
自分ではなかなか
気付かないところが
「におい」のやっかいなところです。
ドクターフリッカーが
今の診療所を「継承」したとき、
やっぱり「におい」がありました。
いわゆる単に「病院くさい」と
いうのとも違う「におい」です。
それは、31年間、
先代の院長先生がこの地で
医療をやってこられた
血と涙と汗の「におい」なのでした。
それは「尊い」「におい」でしたが
ドクターフリッカー、
それにすがっていては
いつまで経っても
自分の診療所にはなりません。
今までの「におい」を
払拭するつもりで一から、
いや、ゼロからやってきた
つもりです。
自分が開業したのは
何のためか、
やりたかったことは
何なのか、
開業当初に思い描いていた
診療に近づこうとしているうちに、
最近、やっと、少しですが、
今までの「におい」が
少なくなった気がします。
ま、今年から導入した
新しい「
空気清浄機」のおかげ
かも知れませんが。
しかし自分の「におい」は
自分では気付かないことも
あるわけで、
自分がやりたかった
診療スタイルが
「いい匂い」か「くさい臭い」か。
それとも単なる「加齢臭」な
だけなのか。
ときどき、客観的に
「におい」を嗅いでもらわなければ
いけないと思うのです。


↑↑共感して頂けたら、クリックお願いします。
昨晩は
新百合ヶ丘のホテルモリノに
B型肝炎の講演会を
聴きに行ってきました。
B型慢性肝炎の治療は
核酸アナログ製剤が
使用されるようになって
激変しました。
また、グローバルな
世の中になって、
欧米から移入してきた
B型肝炎ウイルスもなかなか
一筋縄ではいかないことも
分ってきました。
そんなB型肝炎について
Up to Dateなことを
勉強する機会があったので
参加したわけです。
新百合ヶ丘、通称「新百合」。
ドクターフリッカーが
学生の頃は、
ただの山でしたが、
今や、小田急沿線としては
成城学園、町田に次ぐ、
中核都市です。
もっと遡れば、
ドクターフリッカーが幼稚園時代、
百合ヶ丘に住んでいた頃、
まだ、母校の大学も
ない時代の話ですが、
その時、「百合ヶ丘駅」の
ホームで撮った写真には
次の駅が「新百合ヶ丘」ではなく
「柿生」になっていました。
いや、
立派になりましたね。
「新百合」。
そう言えば、
講演会の会場になったのは
ドクターフリッカーが
大学を辞職するときに
医局の送別会を
やってくれたホテルでした。
B型肝炎の勉強に
行ったのですが、
妙に感慨深くなってしまった
ドクターフリッカーです。
10時近くに帰宅すると、
まだ起きていた
青鬼のお面をかぶった
ドクターフリッカー2世に
「おにはしょとー!」と
マメを投げられました。
昨日は節分だったんですね。
すっかり忘れていました。


↑↑共感して頂けたら、クリックお願いします。
一昨晩から鼻づまり気味の
ドクターフリッカー2世。
夢の中で「子どもの泣き声」が
聞こえてきたので
仕事のしすぎかと思ったら、
夜中に本当に2世が
泣いていたのでした。
鼻がつまって息苦しくて、
うなされていたようです。
それで、昨日の
昼休みにお母さんと
「びょーいん」に来たのです。
2世はドクターフリッカーの
診療所を「びょーいん」と
呼んでいます。
面倒くさいので
あえて訂正させません。
ドクターフリッカー、
昼休みに一人のんびりと
SOYJOYを味わっていると
「こんにちはー!」
と診療所の玄関で大きな声。
おう、ちゃんと挨拶できるように
なったじゃないか。
薬を出しといたから
早く、帰って寝てなさい。
「何でさー、びょーいん
誰もいないの?」
いいだろ。誰もいなくたって。
昼休みなんだよ。
「アンパンマン、履く」
おい、いいよ。
上がんないで。
ちょ、ちょっと、お母さんまで
なんで靴を脱いでるんですか。
「何、それ?」
お父さんのお昼ごはんです。
「そいじょい」ってゆう偉大なお菓子
なんです。
「あー、ボクも食べたい」
・・・。
仕方ないな、一本あげるよ。
昼ごはん、食べてないの。
「なっとーぐわん、食べた」
大豆ずくしだな。お前。
「もー、いんない」
って、お前、一口かじっただけだろ。
貴重な買い置きのSOYJOYを、
何だと思っているんだよ。
「ドラえもん、読んでくー」
頼む、帰ってくれ。
お昼休みはリラックスしたいんだよ。
「えー、のび太くん、
少しは机を片付けたらどう?
えへへ、そーだね、ドラえもん」
ちょ、ちょっと、お母さん、
ここで待合室の絵本を
読み聞かせないで下さい。
「ここのびょーいんさー、
お医者さん、いないから、
誰もいないんだねー」
面倒くさいので
あえて訂正させません。
一体、どこの失礼な子どもでしょう。
親の顔がみたいとはこのことです。
おかげで昼休みに
仕上げるつもりのレセプト出力も
夜にやることになりました。
それにしても、
ちっとも鼻、
つまってないじゃん。


↑↑共感して頂けたら、クリックお願いします。
乾燥した日が
続いていましたが
昨日は久しぶりに
雨が降りました。
でも、まさに
「氷雨」といった感じの
冷たい雨。
診療所から帰る頃、
とうとう、みぞれから
雪に変わりました。
今朝、見てみると、
ここ横浜の都筑区でも
積雪。
いや、アスファルトが
見えていますから、
そんなに大げさに積もっている
わけではありませんが
交通障害、路面の凍結には
十分な注意が必要です。
特に受験生のみなさん。
交通情報をよく確認して
慌てず、気をつけて
試験場に行きましょう。
ドクターフリッカーも
早めに家を出て、
暖房フル回転で診療所を
暖かくしておかなければ
いけません。
寒いと言うより、
冷たい朝です。
でも、「寒い、冷たい」も
今がピーク。
気が付けば
心なしか日も少し長く
なってきました。
「お彼岸」はまだ
ずいぶん、先ですが、
春は、もうすぐそこまで
来ています。


↑↑共感して頂けたら、クリックお願いします。
今日から2月です。
昨日は「休日急患診療所」に出動で
あっという間に
終わってしまった1月でした。
受験シーズンも本番ですね。
特に今日、2月1日は
私立中学校の受験が多い日です。
ドクターフリッカーも
私立中学を受験しました。
大学受験や国家試験に
比べれば、
かなり「甘ちゃん」な
中学受験ですが、
受験するとなれば
それは、それなりに
厳しいものです。
初めて「他人と争う」試験。
同じ小学校から受験した
友だちにも
「一緒に合格しような!」と
口では言っていても
心の中では
「お前なんかに負けるもんか」と
思ったものです。
何て嫌な小学生だったの
でしょう。
ドクターフリッカー。
まー、それはともかく
何ですか、今どきの中学受験、
その日の夜にホームページに
「合格発表」が掲載されるとか。
ドクターフリッカーは
合格発表の日、
昼休みに職員室に呼ばれ、
担任の先生から
「おめでとう」と言われました。
発表を見に行った
おふくろが電話で先生に
お礼を言ったそうです。
いや、時代ですね。
ドクターフリッカーは
私立中学に進学して
良かったのかどうかは
今でも分りませんが、
21世紀を担う人たちは
私立であろうが公立であろうが
中学生活を目いっぱい満喫して
全力で過ごしてほしいと思います。
ま、時として有り余った
エネルギーをどこにぶつけていいか
悩むこともあると思いますが、
あっちこっちにぶつけりゃいいんです。
勉強でも部活でも、
いや、その他の生活も含めて
後になって「一番の思い出」に
なるのは中学時代です。
全力であっちこっちに
ぶつかっていれば「受験」に限らず、
将来、社会のハードルだって
きっと超えていくことが出来るでしょう。