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立会川

引越しを多くしたせいか、
「ふるさと」と言っても
あまりピンときませんが、

小学生の頃、住んでいたところは
近くに川が流れていました。

川といってもどす黒い色をした
まさに「どぶ川」。

今では信じられませんが
当時、東京23区内でも下水道が
整備されておらず、

商店街の裏手の流れるその川には
生活廃水がそのまま流されていました。

道路とコンクリートの岸壁の間には
特になんの柵もなく
岸壁のところどころある
排水用の穴から泡だった汚水が
よく川に流れていました。

いや、さすがに
トイレは水洗ではありませんが、
川に流しているということはなく
ちゃんと浄化槽に溜めて
バキュームカーが回収していたはずです。
たぶん。

東京湾の河口付近まで行くと
コンクリートの岸壁にハシゴがあり
その下に朽ちたような小さな船が
何隻か停めてありました。

悪友たちとその船に乗ってみようと
ハシゴを降りたところで
船が岸壁から離れてしまい、
友人2、3人とともに
どぶ川に胸まで落ちたことがありました。

船につかまっているところを
通りかかった大人が
大きな竹のさおで船を引き寄せて
くれたので助かったのです。

胸までヘドロまみれで
商店街を通って家に帰ると
親父にぶっ飛ばされて叱られました。

近くには競馬場もあり
どぶ川沿いでは
焼き鳥屋さんで赤い顔をしている
ヒゲ面のおじさんが

大きな声で何か叫びながら
負けた馬券をばら撒いていました。

そういうおじさんに
命を救ってもらったわけです。

そもそも昭和40年代中頃、
東京の大気汚染も半端ではなく、
スモッグやヘドロの中で
暮らしていたと言っても過言ではありません。

交通事故も頻発しており
「交通戦争」と呼ばれ、
都内で急激に「歩道橋」が
増設されたのもその頃でしょう。

川と交差する第一京浜は
都内と京浜工業地帯を結ぶ国道で
大きなトラックがぶんぶん走っていました。

自転車に乗るのも命がけと
言うと大げさかも知れませんが、
そういう環境ですから
なかなか、自転車は
買ってもらえませんでした。

ここ都筑区にあるきれいで住みやすい
港北ニュータウン。

至る所に緑多く公園もあり、
きれいな水のせせらぎさえあります。
子どもも安心して自転車に乗れる街です。

でも、ときどき
あのヘドロと焼き鳥とお酒の匂いが
入り混じっている「どぶ川」が
妙に懐かしくなるのは

あそこがドクターフリッカーにとっての
「ふるさと」なのかも知れません。



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2012.06.15 Fri l 思い出 l COM(0) TB(1) l top ▲