
1945年の初夏、
一人の特攻隊員が敵空母に爆弾を積んで
ゼロ戦で特攻しました。
弱冠22歳で南の海に散ったのです。
操縦桿を握っていたのは
名古屋軍の野球選手、石丸進一投手。
職業野球の選手でしたが、
日大の夜間部にも学籍があったので
学徒出陣での招集でした。
九州、佐賀商業のエースとして活躍。
兄の藤吉がいた名古屋軍に入団。
1943年には20勝12敗、
防御率1.15の好成績を残し、
対大和戦ではノーヒットノーランも達成した
戦前屈指の好投手です。
出撃前日、キャッチボールを行った話は
あまりにも有名ですが、
目撃した報道班員によると
わずか10球ほど投げて
「これで思い残すことはない。さよなら」と
報道班員に向かって言ったそうです。
戦争や特攻を賛美する気は
毛頭ありませんが、
「自分」の幸せばかりを追求して
「自分探し」ばかりしている現代の日本人には
想像もつかない心境です。


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