morimichi

ドクターフリッカーが
生まれる前の
昭和35年に中日ドラゴンズ入団。

以降、中心選手として
活躍して、昭和55年のシーズンを
最後に引退した高木守道。

選手としては昭和49年に
リーグ優勝、そして
コーチとしても昭和57年に
リーグ優勝を経験しましたが、

ON全盛V9時代のジャイアンツに
トップバッターとして敢然と立ち向かい、
そしてまた、暗黒の昭和50年代前半の
ドラゴンズを小さい身体で必死に
牽引して「ミスタードラゴンズ」と
称されました。

寡黙で知られ、
余計なことはしゃべらずに
プレーで魅せる玄人好みのいぶし銀。

昭和61年、成績不振で
辞任した山内監督の後に
代理監督に就任して、

そのまま翌年に監督昇格かと
思いましたが、監督になったのは
星野仙一さんでした。

その星野さんが辞任した
平成4年に満を持して監督就任。

平成6年、1994年には
あの「10.8」決戦で敗れ去りました。
その年限りで辞任の意向でしたが、
選手に涙ながらに慰留されて翻意。

しかし、運命の女神はいたずらです。

翌年、シーズン途中に
成績不振から辞任に追い込まれ
最後のゲームでは審判の胸を突いて
退場となりました。

そんな秘めた熱さを持つ男、高木守道。

いや、あえてモリミチと
呼ばせて頂きましょう。

まさか、古希を過ぎて
監督復帰するとは
ご本人もそうでしょうが、
ファンもびっくり仰天です。

しかも、落合前監督が
球団初のリーグ2連覇を成し遂げた
直後のシーズンです。

ファンサービスが
何より大事とスローガン
掲げていますが、

勝負は勝たなければ
何の意味もないことは
嫌と言うほど味わって来ています。

勝利こそが最高の
ファンサービスであることは
重々承知の上での
パフォーマンスです。

上の写真は
昭和54年4月7日、開幕戦。

後楽園球場で読売の新浦投手から
7回表に決勝ホームランを
かっ飛ばしたモリミチです。

どうです。
かっこいいじゃありませんか。

そろそろ球春が
待ち遠しくなってきました。

モリミチの心の中の闘志は
V9時代のあの長嶋茂雄に
勝るとも劣りません。

頼んだぞ!モリミチ!



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2012.03.13 Tue l つぶやき l COM(0) TB(0) l top ▲

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