ドクターフリッカー

医者になった頃は国家試験に受かったら
研修医と言えども一人前の医者なのだと言われました。

今のようにちゃんとした研修医制度もなく
大学や病院によってその待遇はまちまちでした。

ですから、研修医なのに
救急指定病院に一人で当直をして
一晩で何台もの救急車に対応することもあったのです。

そういう「アルバイト」をしなければ
研修医の給料ではとても生活出来ませんし、

やれ血管確保出来ないだの、
気管挿管は教えてもらっていないだのと言っていれば、
臨床の現場では「使えない医者」の烙印を押され、
淘汰されて行くような雰囲気でした。

研修医が終わっても
正式に大学の「助手」になるまでは
極めて不安定な立場で仕事をしなければなりません。

形式的に医局に「重当ノート」と言う
重症患者さんのために当直したことを
病院に申告する帳面が置かれていましたが、

そんなものに名前を書いていると教授クラスの先生から
「お前は病院にタカっているのか」と叱責される始末で、
患者さんの容態によって病院に泊まっても
何の手当てもないのが実態でした。

しかし、良くも悪くもそんな環境の中だったから
臨床医としても身につけることの出来た技量も
あったことは事実です。

2004年に新しい臨床研修医制度が
施行されたときは既に独立、開業していたので
今の大学病院の雰囲気は伝聞でしか知りませんが、

今からほんの四半世紀前までは
大学病院の若手の医者の立場は
今言われる「ブラック企業」の比ではなかったのです。



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2013.07.25 Thu l 思い出 l COM(0) TB(0) l top ▲

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