1961年5

昭和3年生まれの父は
生きていれば88歳。

父は旧制中学を卒業して、
とある大学の医学専門部に入学した後、
2年の時に結核を患い、
サナトリウムへの入院を余儀なくされた。

当時、結核は有効な治療がなく、
手術をしても半分くらいの人が亡くなっていた。

空気の良いところで療養でもしていれば
運が良ければ助かるかも知れないという病気であった。

大学の医学専門部は休学となったが
不幸だったのは入院中に学制改革が行われ
大学の学籍が失われたことである。

直前に父の従姉も結核で亡くなっており、
期待していた長男の挫折を目の当たりにした
祖父母の落胆も相当なものであったと想像する。

それでも父は左肺の切除と医学専門部の除籍を代償に
何とか社会復帰することが出来た。

弟たちに先を越されていた医学部も
健康であったなら、卒業する歳になって
もう一度、医学部を受験して入学を果たした。

左の肩甲骨のあたりに大きくえぐられた
結核の手術による傷跡が残った。

後年、父と一緒に風呂に入ったときに
何の傷かと訊く自分に
「汽車に轢かれたんだよ」と冗談ともつかぬ顔で
笑っていたのを思い出す。

父の「健康」に対しての執着は異常なほどで
家族に対しても食事、睡眠、運動に何かと干渉した。
何も知らなかった自分は理解不能で
父と衝突したことも一度や二度ではなかった。

味わった苦労を子どもにはさせたくない一心で
うるさいことを言っていた父にはすまなかったなと思う。

そのおかげで、父が味わったほどの挫折は
自分は幸運にもこれまで経験していない。

ちょっとやそっとのことで
泣き言を言っていては草葉の陰から笑われる。

ひととして、医者として、親として、
まだまだ父には追い付いていないが、
負けるわけにはいかない。



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2016.10.05 Wed l つぶやき l COM(1) TB(0) l top ▲

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2016.10.06 Thu l 片岡. URL l 編集

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