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入局した第二内科は、
「研究とは、論文(ペーパー)にして、
はじめて研究といえる」
という教授の方針でした。
はじめて、人前でしゃべったのは
神奈川県の小さな研究会でした。
神経内科の受持ち患者さんの
脳梗塞発症のしくみが珍しく、
脳神経外科でバイパス術を
していただいて、予後良好な結果を得た
という症例報告です。
当時は、まだパソコンなんてものは
ありません。
方眼紙に経過のグラフを書いて、
血管撮影やCTの写真をスライドにします。
読み上げる文章も原稿用紙に書きました。
最初なので、逆にあまり緊張もせず、
さくさくっと壇上でしゃべりました。
帰り道には指導医の先生がたと
お茶なんか飲んで
「上出来、上出来。」と言われ、
すっかり仕事が終わったつもりでいました。
2週間くらいたったころでしょうか。
「この間の発表のペーパー、
出来てるとこまででいいから持ってきて。」
凍りつく思いでした。
一行も書いていません。
過酷な研修医生活。
日々の入院患者さんのカルテや検査のオーダーで
いっぱいいっぱいです。
仕方がないので、
発表原稿を医局備え付けのワープロで
打ちなおしてそのまま持って行きました。
指導医の先生。
だまって眼を通すと
「こういうのは今度だけだからね。」と一言。
ドクターフリッカー、
夕方、病院を抜け出して、
当時、あざみ野にあったダイオーに
ワープロ「OASYS」を買いに行ったのでした。