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あざみ野棒屋先生が
辞表を提出されたときのブログを
いまさらながら読みました。
ドクターフリッカーも
教授のところに
「もうやっていられません。
辞めさせていただきます。」と
言いに行ったことがあります。
この話は、ブログに書くのは
止めようと思っていましたが。
96年のことです。
グループのトップだった助教授の先生が
あまりにもたくさんの治験を
製薬メーカーと契約してしまうので
病棟では入院患者さんが偏り、
緊急入院のベットにもことかく始末で
ひじょうに混乱していました。
特に若い受持ち医の負担は大きく
治験症例を受け持つと膨大な
データを整理しなければなりませんでした。
若手からの不満が大きくなり、
診療にも支障をきたす恐れもあったので、
ドクターフリッカー、談判に行きました。
なんども助教授と話し合い、
やっとの思いで
事前にスタッフのなかで
実施可能かどうか、よく検討してから
計画的に治験の契約をして頂くように
お願いして、助教授も承諾してくださいました。
ところが、その助教授、
数日後のカンファレンスの冒頭でいきなり、
「30例の治験を入れたから。」
とおっしゃられました。
え?
この間、あれだけ
話し合ったはずじゃなかったのかと、
ドクターフリッカー、
一瞬にして沸点に達して、
「約束が違うじゃないですか。」
とカンファレンスルームの
椅子を蹴っ飛ばす勢いで退出してしまいました。
ま、本当は治験のこと以外にも
いろいろとあったのですが。
それにしても、
助手ふぜいがなんと言う無礼な態度でしょう。
いったい何様のつもりでしょうか。
と、今は思います。
病棟をひとりで回診して、
頭を冷やしたあと、
医局に行って、医局長と教授に
「あの先生の下では、働けません。
辞めさせてもらいます。」
となんのあてもなく言ったのです。
まあ、それから大変でした。
そのせいかどうかはわかりません。
結果として助教授が転出され、
ドクターフリッカーは医局に残ることになりましたが、
偉そうに、「辞めてやる」とか大見得を切った手前、
後輩の学位論文の研究指導なども
「いやでござんす。」とは言えなくなり、
一所懸命に論文も書かざるを得なくなりました。
あのときの行動は後悔はしていませんが、
今でも、正しかったのか、良かったのかと
自問自答しています。
人生は後戻りできませんが、
過去を見て、これからを変えることは出来ますよね。
引用ありがとうございました。名誉教授の目に触れても全然OKです。
先日の学会懇親会では、偉い先生に、医局旅行の写真を載せていたことを注意され、削除しました。
http://www.akira-kimura.com/gyouji/atami.html